帰国子女を羨ましいと思う瞬間を8選まとめました。
- 母国語以外に話せる言語があること。
- 物怖じしない堂々とした態度。
- 外国人の友達や恋人がいる。
- 渡航のチャンスが増える。
- 日本の良さを知っている。
- 個人主義である。
- 帰国子女には帰国子女の友人がいる。
- 逆ホームシック。
- まとめ
島国日本に於いては、21世紀の現在であってもまだ「帰国子女」というだけで感嘆の声が挙がるシーンが少なからず見受けられます。
何を学び、どんな苦労を乗り越えてきたかを確認するまでもなく、帰国子女とは尊敬と羨望の的になりがちです。
中でも、その居住先が欧米であるとき、まわりからの注目度合いも羨望の眼差しも強くなるという特徴があるといえるのではないでしょうか。
そこで今回は、特に欧米で暮らしたことのある帰国子女に焦点を絞って、『帰国子女を羨ましいと思う瞬間』を整理していきます。
1. 母国語以外に話せる言語があること。
日本人の多くは、通常は中学生の頃から(最近は小学生や幼児時代から)英語を学ぶ。
高校、大学と進んでいく中で英語以外の言語を選択することも含め、私たち日本人には“母国語以外の言葉をマスターしておくことが望ましい”という価値観がすり込まれています。
だから、バイリンガルで英語(仏語、伊語)ペラペラ状態の帰国子女を羨ましがります。
2. 物怖じしない堂々とした態度。
学校生活でも家庭生活でも、人の話を聞くときに姿勢を乱すことを許されなかった日本人にとって、重要なインタビューや会議の席で、椅子にあるいはソファにふんぞり返るような態度で堂々とやり取りをする欧米のスタンダードは、ともするとカッコ良く映るものです。
インタビュイーとインタビュアーも、教師と生徒も、スーパースターと観客も互いが平等な態度でコミュニケーションをはかるスタイルは、自分にはなかなかできないけれどもやってみたい態度・行動の一つだと言えます。
欧米で数か月、或いは数年かそれ以上を過ごした帰国子女にはそれができます。
まるで、海外暮らしをしたことのある私(達)の専売特許みたいなものよと表現しているかのような、迷いのない物怖じのない態度が、真面目で真摯な姿勢を強要されてきた私たち日本人には羨ましいのです。
3. 外国人の友達や恋人がいる。
帰国子女の総てがとまでは言えませんが、その多くが外国人の友達か恋人を、或いは双方を有していることが少なくありません。
海外出身者や海外に友達や恋人を持っている限り、帰国子女の言語力(ヒアリング・スピーチ)は衰えませんし、向こうで培った価値観や物怖じしない態度が錆びていくことがありません。
そこがまた、島国でしか暮らしたことのない日本人にとっては羨ましいことなのだと捉えることができます。
4. 渡航のチャンスが増える。
上述[3]にも関連しますが、海外に知人や友人がいたり留学した母校があったりすることで、次の渡航の機会がごく自然に訪れます。
旅行パンフレットを片っ端から見て、旅行計画を立てる私たちとは一線をかく旅行プランが自然派生的に生まれてくることも、羨望の一つとなります。
例えば「サンフランシスコでホームステイしていた頃の友達から、夏休みに2週間位おいでよと誘われた」といった具合いの、まるで映画のような渡航理由がいくつも生まれてくるのです。
5. 日本の良さを知っている。
帰国子女の多くは、海外での暮らしを経ることにより、その国の価値観や強みを身につけますが、実は日本の良さを広く、深く知ることとなります。
「実は日本のここが素敵」と、曇りなくはきはきと語って聞かせてくれる帰国子女もまた魅力を感じさせるものであり、羨ましさに拍車をかけていきます。
6. 個人主義である。
アメリカナイズ、または欧米化されてきた帰国子女は、家庭の中の誰、チームの中の誰という視点ではなく、まず先に「私が」「あなたが」という視点で物事を捉えていきます。
前述した堂々とした態度は確固たる個人主義に裏打ちされていると言っても過言ではありません。
自らの発言に主語を明確にし、相手に対してもまた主語をはっきりさせることを求める、そのスタイルは映画で観たことのあるワンシーンのようであり、やはりカッコ良いという印象を与えます。
7. 帰国子女には帰国子女の友人がいる。
類は友を呼ぶのか、価値観が合うからか、とかく帰国子女には帰国子女の友人が必ずと言っていいほどいます。
帰国子女と帰国子女の会話には、海外居住未経験の人にはまったくついていけないスピード感と世界観があります。
また、帰国子女同士がたわいもない会話をしている所へ、偶然欧米人が入ってきたとき、途端に言語が日本語から英語へ(仏語へ. 伊語へ. )切り替えられるさま、ついていけない感は筆舌しがたい羨望感と言えるでしょう。
8. 逆ホームシック。
本来、ホームシックというものは海外に於いて母国に対して抱くものですが、逆に、帰国してきた日本に於いて居住国に対してホームシックになる人を少なからず見かけます。
食べ物に対するホームシック、服装や髪形の自由に対するホームシック、その他様々な理由により渡航先が恋しくなるようです。
第2の故郷を想うような帰国子女の言動に、やはり海外は夢のような場所なんだとの印象を抱かせます。
まとめ
さて、ここまで特に欧米からの帰国子女に対する羨ましい瞬間についてまとめてきましたが、私たちは自国の治安の良さやクリーンさ、豊かさや温かさを知っています。
だから実は母国は自由でいられる国であることも、突き詰めて考えていけばわかるはずです。
言葉も習慣も文化も違う異国へ居を移すということは、どれほど不便であり不自由であり、大変なことであるかは、経験者でなくともある程度は想像ができます。
それでもなお、帰国子女が相も変わらず羨ましい存在であるのは、その不便で不自由な世界に飛び出していくことができた勇気の持ち主であるからなのではないでしょうか。
そう考えていくと、確かに帰国子女とはもうそれだけで尊敬に値する存在です。
帰国子女を羨ましいと思う瞬間を8選まとめました。
島国日本に於いては、21世紀の現在であってもまだ「帰国子女」というだけで感嘆の声が挙がるシーンが少なからず見受けられます。
何を学び、どんな苦労を乗り越えてきたかを確認するまでもなく、帰国子女とは尊敬と羨望の的になりがちです。
中でも、その居住先が欧米であるとき、まわりからの注目度合いも羨望の眼差しも強くなるという特徴があるといえるのではないでしょうか。
そこで今回は、特に欧米で暮らしたことのある帰国子女に焦点を絞って、『帰国子女を羨ましいと思う瞬間』を整理していきます。
1. 母国語以外に話せる言語があること。
日本人の多くは、通常は中学生の頃から(最近は小学生や幼児時代から)英語を学ぶ。
高校、大学と進んでいく中で英語以外の言語を選択することも含め、私たち日本人には“母国語以外の言葉をマスターしておくことが望ましい”という価値観がすり込まれています。
だから、バイリンガルで英語(仏語、伊語)ペラペラ状態の帰国子女を羨ましがります。
2. 物怖じしない堂々とした態度。
学校生活でも家庭生活でも、人の話を聞くときに姿勢を乱すことを許されなかった日本人にとって、重要なインタビューや会議の席で、椅子にあるいはソファにふんぞり返るような態度で堂々とやり取りをする欧米のスタンダードは、ともするとカッコ良く映るものです。
インタビュイーとインタビュアーも、教師と生徒も、スーパースターと観客も互いが平等な態度でコミュニケーションをはかるスタイルは、自分にはなかなかできないけれどもやってみたい態度・行動の一つだと言えます。
欧米で数か月、或いは数年かそれ以上を過ごした帰国子女にはそれができます。
まるで、海外暮らしをしたことのある私(達)の専売特許みたいなものよと表現しているかのような、迷いのない物怖じのない態度が、真面目で真摯な姿勢を強要されてきた私たち日本人には羨ましいのです。
3. 外国人の友達や恋人がいる。
帰国子女の総てがとまでは言えませんが、その多くが外国人の友達か恋人を、或いは双方を有していることが少なくありません。
海外出身者や海外に友達や恋人を持っている限り、帰国子女の言語力(ヒアリング・スピーチ)は衰えませんし、向こうで培った価値観や物怖じしない態度が錆びていくことがありません。
そこがまた、島国でしか暮らしたことのない日本人にとっては羨ましいことなのだと捉えることができます。
4. 渡航のチャンスが増える。
上述[3]にも関連しますが、海外に知人や友人がいたり留学した母校があったりすることで、次の渡航の機会がごく自然に訪れます。
旅行パンフレットを片っ端から見て、旅行計画を立てる私たちとは一線をかく旅行プランが自然派生的に生まれてくることも、羨望の一つとなります。
例えば「サンフランシスコでホームステイしていた頃の友達から、夏休みに2週間位おいでよと誘われた」といった具合いの、まるで映画のような渡航理由がいくつも生まれてくるのです。
5. 日本の良さを知っている。
帰国子女の多くは、海外での暮らしを経ることにより、その国の価値観や強みを身につけますが、実は日本の良さを広く、深く知ることとなります。
「実は日本のここが素敵」と、曇りなくはきはきと語って聞かせてくれる帰国子女もまた魅力を感じさせるものであり、羨ましさに拍車をかけていきます。
6. 個人主義である。
アメリカナイズ、または欧米化されてきた帰国子女は、家庭の中の誰、チームの中の誰という視点ではなく、まず先に「私が」「あなたが」という視点で物事を捉えていきます。
前述した堂々とした態度は確固たる個人主義に裏打ちされていると言っても過言ではありません。
自らの発言に主語を明確にし、相手に対してもまた主語をはっきりさせることを求める、そのスタイルは映画で観たことのあるワンシーンのようであり、やはりカッコ良いという印象を与えます。
7. 帰国子女には帰国子女の友人がいる。
類は友を呼ぶのか、価値観が合うからか、とかく帰国子女には帰国子女の友人が必ずと言っていいほどいます。
帰国子女と帰国子女の会話には、海外居住未経験の人にはまったくついていけないスピード感と世界観があります。
また、帰国子女同士がたわいもない会話をしている所へ、偶然欧米人が入ってきたとき、途端に言語が日本語から英語へ(仏語へ. 伊語へ. )切り替えられるさま、ついていけない感は筆舌しがたい羨望感と言えるでしょう。
8. 逆ホームシック。
本来、ホームシックというものは海外に於いて母国に対して抱くものですが、逆に、帰国してきた日本に於いて居住国に対してホームシックになる人を少なからず見かけます。
食べ物に対するホームシック、服装や髪形の自由に対するホームシック、その他様々な理由により渡航先が恋しくなるようです。
第2の故郷を想うような帰国子女の言動に、やはり海外は夢のような場所なんだとの印象を抱かせます。
まとめ
さて、ここまで特に欧米からの帰国子女に対する羨ましい瞬間についてまとめてきましたが、私たちは自国の治安の良さやクリーンさ、豊かさや温かさを知っています。
だから実は母国は自由でいられる国であることも、突き詰めて考えていけばわかるはずです。
言葉も習慣も文化も違う異国へ居を移すということは、どれほど不便であり不自由であり、大変なことであるかは、経験者でなくともある程度は想像ができます。
それでもなお、帰国子女が相も変わらず羨ましい存在であるのは、その不便で不自由な世界に飛び出していくことができた勇気の持ち主であるからなのではないでしょうか。
そう考えていくと、確かに帰国子女とはもうそれだけで尊敬に値する存在です。