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自分が悪くても謝らない人の心理

自分が悪くても謝らない人の心理 | LADYCO

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自分が悪くても謝らない人の心理

一部とはいえ、どうしても見かける「自分が悪いのに謝らない人」

彼らは一体どのような心理からそういった言動に出るのか、気になりますね。

  • 簡単に謝れない職業・立場に慣れすぎてしまっている
  • 謝る=自分の人格そのものについての話だと考えてしまう
  • 「嫌いな人に謝れない」という気持ちが強すぎる
  • 何らかの能力のため、自らの人間性が許されていると思ってしまう
  • 誰が何に謝るべきなのか、把握できなくなっている
  • 謝ることの「良さ」を体験(学習)してきていない
  • 「謝る」ことで、起こった事実は変わらないという考え方をしている
  • 「悪いこと」の認識が、一般と食い違っている
  • そもそも「謝る」という行動は、「怒り」などに比べ、案外と出にくい
  • まとめ

1. 簡単に謝れない職業・立場に慣れすぎてしまっている

簡単に謝れない職業・立場に慣れすぎてしまっている

医師と患者などの関係性で考えてみましょう。

仮の話ですが医師が「この病気についてはケア法をマスターしたとはいえないので、失敗したらごめんなさい。

先に謝ります」
などとしょっちゅう言っていたら、患者は混乱してしまいます。

「あの法廷については私のミスもありました」などと依頼人にあまり謝る弁護士であるとかも、正直者なようでちょっと困ってしまいますね。

このように「謝るとむしろ問題になる」という状況に慣れてしまうと、謝るべき場面でも「謝らない」クセがつくことも考えられます。

政治家一般などにも言えることです。

2. 謝る=自分の人格そのものについての話だと考えてしまう

謝る=自分の人格そのものについての話だと考えてしまう

悪い行動をしても、適切に謝意を示せば、むしろ相手・周囲からの評価は高まったりするものです。

「悪い行動」「不適切な行動」も、その人の一部分に過ぎないのですからね。

…しかし「謝る」とは「自分の人格全てが悪いと認めることだ」のように考えてしまう人がいます。

何かの議論をしていて、特定の話について自分の考えが誤りだと感じても、絶対にそれを認めないような人の心理とも似ています(打ち負かすような議論をする人も問題ですが)。

3. 「嫌いな人に謝れない」という気持ちが強すぎる

「嫌いな人に謝れない」という気持ちが強すぎる

たとえ嫌いな人が相手でも、状況によって謝るべき場面というのはあるでしょう。

反対に、好きな人を叱責した方がいい場面も。

しかし嫌いな人が相手となると、どうしても譲らなくなってしまう人がいます。

論理的に考えて悪い・謝っているのはどちらか?

ということよりも「相手が嫌いである」ということが先に立ってしまうのです。

この場合では、もはや自分が何をしたかではなく、相手の人格全体について否定的になってしまっているのですね。

4. 何らかの能力のため、自らの人間性が許されていると思ってしまう

何らかの能力のため、自らの人間性が許されていると思ってしまう

「彼は類まれな仕事能力のある人間だが、変わり者で謝ることを知らない。

しかしトータル判断として、彼をクビにはできない…」
そんな状態が続いたとします。

…そのまま時間が経過すれば、彼は「謝る」という感覚そのものを忘れたような人になってしまうかもしれません。

特定状況で自分の理不尽さが許容されているとしても、それは世間一般で認められるものではないのだ、と理解できなくなっていくことも考えられます。

5. 誰が何に謝るべきなのか、把握できなくなっている

誰が何に謝るべきなのか、把握できなくなっている

たとえば、子どもが全くの過失でコップを割ってしまったとします。

「ごめん」と謝りました。

そこで親が、「何やってるの!やめてよ!」などと激しく怒ったとします。

すると子どもは「"やめて"って、わざとやったんではないんだから、"やめて"っていう言い方については、お母さんも謝るべきだよ」と言ったとします。

でも母親は決して謝りませんでした。

この場合子どもは、コップを割ったこととは別に「"怒り方"がおかしい」と言っており、正しいことを言っています。

何がポイントなのか把握できないほど興奮してしまい、混乱して謝れなくなってしまう状態もあるのです。

6. 謝ることの「良さ」を体験(学習)してきていない

謝ることの「良さ」を体験(学習)してきていない

人間は割と単純で、「適切に謝る」という「行動の後」に良いことがあれば、「適切に謝る」行為が増えていきます。

「適切にありがとうと言う」などのことも、同様です。

しかし、適切に謝ったのにさらに罵倒される、感謝の言葉を伝えたのに無視される、などのことが続くと、どうなるでしょう? いかにモラル的に正しい行動(例:適切に謝る・お礼を言う)でも、「その後に」嫌なことばかり起きるのでは、人はその行動をしなくなってしまうのです。

専門的に言えば、適切でない「(心理学的)学習」が起きてしまう、という説明になります。

ここは子どもの教育の上でも重要ポイントで、「何でもかんでも怒る、良いことをしてもほめない」などの環境は大変悪いものなのです。

7. 「謝る」ことで、起こった事実は変わらないという考え方をしている

「謝る」ことで、起こった事実は変わらないという考え方をしている

たまに見かけるのが、「今更オレが謝ったところで、やってしまったことは変わらないんだから」というような理屈です。

もちろん、些細なミスで延々と謝罪を続けさせるなどは、それ自体が悪になってしまいます。

軽犯罪などに当たることでも、ずっと謝り続ける必要はありませんね。

けれど「謝っても、起こしたことが変わるわけではない」という理屈はやはり稚拙です。

「何か起こしてしまったとしても、自分は正しいのだ」と正当化する心理がはたらきすぎていますね。

8. 「悪いこと」の認識が、一般と食い違っている

「悪いこと」の認識が、一般と食い違っている

「自分が悪くても謝らない」と見受けられる場合では、そもそも当人が、なした行為や生じた結果を「悪いと思っていない」ケースがあります。

たとえば、誰かが道端にポイ捨て行為をしたので、警官や近隣住民などが注意しましたが、当人は謝りません。

当人の言い分としては、「動物だって食べたもののカスなどを捨てたりするんだから、これの何が悪いんだ」というもの。

…こうなってくると、悪いことについて謝っているかどうかではなく、「悪いこと」の認識の話になってきますね。

案外、このような食い違いも起きているものです。

9. そもそも「謝る」という行動は、「怒り」などに比べ、案外と出にくい

そもそも「謝る」という行動は、「怒り」などに比べ、案外と出にくい

これは、謝れない人を擁護するような意見にもなりますが、自然界・原始社会で考えてみると面白い話も見えてきます。

まず怒りの感情を伴って外敵を攻撃したり、反対に、攻撃を避けるために恐怖を感じたり、というような感情のはたらきは早くから生まれたと思われ、動物でも見られますね。

「怒り」「嫌悪」は心理学的に「一次感情」と呼ばれるものの一つです。

では謝ることにつながる「罪悪感」は?こちらは「二次感情」というより高度なものに当たります。

新生児でも一次感情が先に発達します。

一次感情のほうが生き物としてよりベーシックなものといえて、「口論」「言い合い」などになった場合「罪悪感」から謝ろう、という行動より、どうしても「怒り」「嫌悪」が勝ってしまいがちな心理傾向もある程度は説明できます。

まとめ

「悪いことをしたのに謝らない」とは、一般的には単に自分勝手だとか傍若無人だとかで処理してしまっても問題はないでしょう。

ただ、そのメカニズムを知っておくと、一体どういうことなのか分かり、無用に腹を立てたりトラブルになったりすることは減るかもしれません。

それに、教育上・生育環境上の問題があって「悪い」とか「謝る」について人間らしい行動ができなくなっている場合も、考慮はしたいものです。

一部とはいえ、どうしても見かける「自分が悪いのに謝らない人」

彼らは一体どのような心理からそういった言動に出るのか、気になりますね。


簡単に謝れない職業・立場に慣れすぎてしまっている

医師と患者などの関係性で考えてみましょう。

仮の話ですが医師が「この病気についてはケア法をマスターしたとはいえないので、失敗したらごめんなさい。

先に謝ります」
などとしょっちゅう言っていたら、患者は混乱してしまいます。

「あの法廷については私のミスもありました」などと依頼人にあまり謝る弁護士であるとかも、正直者なようでちょっと困ってしまいますね。

このように「謝るとむしろ問題になる」という状況に慣れてしまうと、謝るべき場面でも「謝らない」クセがつくことも考えられます。

政治家一般などにも言えることです。

謝る=自分の人格そのものについての話だと考えてしまう

悪い行動をしても、適切に謝意を示せば、むしろ相手・周囲からの評価は高まったりするものです。

「悪い行動」「不適切な行動」も、その人の一部分に過ぎないのですからね。

…しかし「謝る」とは「自分の人格全てが悪いと認めることだ」のように考えてしまう人がいます。

何かの議論をしていて、特定の話について自分の考えが誤りだと感じても、絶対にそれを認めないような人の心理とも似ています(打ち負かすような議論をする人も問題ですが)。

「嫌いな人に謝れない」という気持ちが強すぎる

たとえ嫌いな人が相手でも、状況によって謝るべき場面というのはあるでしょう。

反対に、好きな人を叱責した方がいい場面も。

しかし嫌いな人が相手となると、どうしても譲らなくなってしまう人がいます。

論理的に考えて悪い・謝っているのはどちらか?

ということよりも「相手が嫌いである」ということが先に立ってしまうのです。

この場合では、もはや自分が何をしたかではなく、相手の人格全体について否定的になってしまっているのですね。

何らかの能力のため、自らの人間性が許されていると思ってしまう

「彼は類まれな仕事能力のある人間だが、変わり者で謝ることを知らない。

しかしトータル判断として、彼をクビにはできない…」
そんな状態が続いたとします。

…そのまま時間が経過すれば、彼は「謝る」という感覚そのものを忘れたような人になってしまうかもしれません。

特定状況で自分の理不尽さが許容されているとしても、それは世間一般で認められるものではないのだ、と理解できなくなっていくことも考えられます。

誰が何に謝るべきなのか、把握できなくなっている

たとえば、子どもが全くの過失でコップを割ってしまったとします。

「ごめん」と謝りました。

そこで親が、「何やってるの!やめてよ!」などと激しく怒ったとします。

すると子どもは「"やめて"って、わざとやったんではないんだから、"やめて"っていう言い方については、お母さんも謝るべきだよ」と言ったとします。

でも母親は決して謝りませんでした。

この場合子どもは、コップを割ったこととは別に「"怒り方"がおかしい」と言っており、正しいことを言っています。

何がポイントなのか把握できないほど興奮してしまい、混乱して謝れなくなってしまう状態もあるのです。

謝ることの「良さ」を体験(学習)してきていない

人間は割と単純で、「適切に謝る」という「行動の後」に良いことがあれば、「適切に謝る」行為が増えていきます。

「適切にありがとうと言う」などのことも、同様です。

しかし、適切に謝ったのにさらに罵倒される、感謝の言葉を伝えたのに無視される、などのことが続くと、どうなるでしょう? いかにモラル的に正しい行動(例:適切に謝る・お礼を言う)でも、「その後に」嫌なことばかり起きるのでは、人はその行動をしなくなってしまうのです。

専門的に言えば、適切でない「(心理学的)学習」が起きてしまう、という説明になります。

ここは子どもの教育の上でも重要ポイントで、「何でもかんでも怒る、良いことをしてもほめない」などの環境は大変悪いものなのです。

「謝る」ことで、起こった事実は変わらないという考え方をしている

たまに見かけるのが、「今更オレが謝ったところで、やってしまったことは変わらないんだから」というような理屈です。

もちろん、些細なミスで延々と謝罪を続けさせるなどは、それ自体が悪になってしまいます。

軽犯罪などに当たることでも、ずっと謝り続ける必要はありませんね。

けれど「謝っても、起こしたことが変わるわけではない」という理屈はやはり稚拙です。

「何か起こしてしまったとしても、自分は正しいのだ」と正当化する心理がはたらきすぎていますね。

「悪いこと」の認識が、一般と食い違っている

「自分が悪くても謝らない」と見受けられる場合では、そもそも当人が、なした行為や生じた結果を「悪いと思っていない」ケースがあります。

たとえば、誰かが道端にポイ捨て行為をしたので、警官や近隣住民などが注意しましたが、当人は謝りません。

当人の言い分としては、「動物だって食べたもののカスなどを捨てたりするんだから、これの何が悪いんだ」というもの。

…こうなってくると、悪いことについて謝っているかどうかではなく、「悪いこと」の認識の話になってきますね。

案外、このような食い違いも起きているものです。

そもそも「謝る」という行動は、「怒り」などに比べ、案外と出にくい

これは、謝れない人を擁護するような意見にもなりますが、自然界・原始社会で考えてみると面白い話も見えてきます。

まず怒りの感情を伴って外敵を攻撃したり、反対に、攻撃を避けるために恐怖を感じたり、というような感情のはたらきは早くから生まれたと思われ、動物でも見られますね。

「怒り」「嫌悪」は心理学的に「一次感情」と呼ばれるものの一つです。

では謝ることにつながる「罪悪感」は?こちらは「二次感情」というより高度なものに当たります。

新生児でも一次感情が先に発達します。

一次感情のほうが生き物としてよりベーシックなものといえて、「口論」「言い合い」などになった場合「罪悪感」から謝ろう、という行動より、どうしても「怒り」「嫌悪」が勝ってしまいがちな心理傾向もある程度は説明できます。

「悪いことをしたのに謝らない」とは、一般的には単に自分勝手だとか傍若無人だとかで処理してしまっても問題はないでしょう。

ただ、そのメカニズムを知っておくと、一体どういうことなのか分かり、無用に腹を立てたりトラブルになったりすることは減るかもしれません。

それに、教育上・生育環境上の問題があって「悪い」とか「謝る」について人間らしい行動ができなくなっている場合も、考慮はしたいものです。

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