付き合いにくい「ひねくれ者」。
彼らは一体どうしてそのような傾向を持つようになったのでしょうか。
また、どういった特徴を持つのでしょう。
- 生まれ持っての性格的特徴である
- ひねくれた人に囲まれて育ってきた
- 周囲の人が「ひねくれ」を説明できない
- 友人ができづらい
- 意地悪な人と思われやすい
- 冷たい人と思われやすい
- 職人肌・芸術家肌なこともある
- 哲学者っぽい人に多い?
- 騙されにくい
- 良い友人ができることもある
- まとめ
1. 生まれ持っての性格的特徴である
身もふたもない見解ですが、生まれ持っての性格的特徴としてひねくれている場合も多くあります。
これは生育環境などによりません。
「ひねくれ」=「悪い」わけではありませんから、いつも「ひねくれている」と言われて悩んでいる人も、「単にそういう性格なのだ」と考えれば気が楽になるでしょう。
ひねくれた人は「一般的な人」と違う考え方をするものですね。
しかし人間が皆、同じような考えをして同じような感情を持っていたら、それも何か怖い話です。
生物には多様性があり、人間の中にも多様性があって然りなのです。
2. ひねくれた人に囲まれて育ってきた
こちらは生育環境の話です。
人間はかなり単純な部分があり、明るい人に囲まれて育てば明るくなり、素直な人に囲まれて育てば素直になる面があります。
保護者や教育者がひねくれた人ばかりであれば、生まれ持った性格によらず、ひねくれてしまうことはあります。
ただし、大人になっても人間の性格は変化しますので、たまたま素直な人に囲まれる環境にあれば、いわゆる「素直さ」を身につけることもあります。
3. 周囲の人が「ひねくれ」を説明できない
ひねくれている人は、一般的な人とは考え方や感じ方が違うわけですが、「それを直せ」というのはなかなか難しいことです。
「一般的な人のような素直な考え方をしろ」と言っても、それがどういうことなのか、説明する側としても難しいですよね。
また、ひねくれていることは悪ではありませんから、考えを変えなくてはいけないというのも、ちょっとおかしな話です。
このため、ひねくれた人はずっとひねくれたまま、ということもやはり多いのです。
4. 友人ができづらい
「桜がきれいですね」と話しかけても「個人の主観だろう」と返答されたり、「風邪が治った。
つらかった」と話しかけても「それは僕に言うことか?
」と返されたり。
こんな会話ばかりでは、やはり友人はできにくいものです。
当然、恋人などもできにくい傾向に。
周囲からは、無視されたり、「あいつ何なんだ?」と言われてしまうこともあるでしょう。
ではひねくれた人同士が仲良くなりやすいかといえば、「ひねくれ方」が人それぞれですから、そういうわけにも行かないですね。
内心では、ひねくれた人も他者との接触を望んでいますので、苦しんでいることもあります。
5. 意地悪な人と思われやすい
「意地悪な人」と「ひねくれ者」は、一見して発言などが似ていますが、中身は全く違います。
たとえば「こういう車を買ったんだ」と二者に言ったときを想定します。
どちらからも「安い車だなあ」と返答されたとしますね。
意地悪な人の場合、相手がどういう気分になるか分かっていてそれを言っています。
一方でひねくれ者は、「安い車を安いと言っただけなのだが、それが何か問題なのだろうか。
夏が暑いのを暑いと言うのと何か違うのか」などと考えていたりするのです。
6. 冷たい人と思われやすい
意地悪な人のパターンと似ています。
たとえば「失業してしまい、落ち込んでいる。
つらい」と冷たい人、ひねくれ者、双方に言ったとします。
「ふうん、で、それがどうしたんだ」とどちらも言いました。
冷たい人では「落ち込んでいるんだろう。
つらいだろう。
でもそんなことはどうでも良い」と考えています。
相手の気持は分かっているのです。
ひねくれ者ではどうか?
「仕事をしていれば、失業することも想定できるのではないか。
それがどうしてつらいんだろう?」などと考えていたりするのです。
7. 職人肌・芸術家肌なこともある
一般にいって、ひねくれ者さんはやはり協調性に欠けることがあり、「大多数」に合わせることが苦手です。
このため接客業や営業職、教師などには向かないでしょう。
しかし、一人でできる仕事、それも自分の考えに徹底してこだわる仕事には向いていることがあります。
いわゆる「職人」や「芸術家」などがそれに当たります。
子どもがひねくれ気味で将来を心配している親御さんなどは、芸術家はともかく職人的な仕事を目指させるような方向で考えてみると、良いかもしれないですね。
8. 哲学者っぽい人に多い?
ひねくれた人では、「旅行に行ってきて楽しかったんだよね」と話しかけても、「どういう外出から"旅行"になるのか」とか「楽しいとはどういう意味か」など、返答に困るようなことを言ってきたりします。
しかしこれ、とらえ方を変えれば非常に哲学的な問いといえます。
確かにどのようなお出かけをもって旅行とするのかは難しいところですし、「楽しい」とはどういうことかも考えだすと大変です。
実際、哲学者と言われる人には大変ひねくれた人も多かったということで、「一般的な人とは違うものの見方ができる」と考えることもできますね。
9. 騙されにくい
ひねくれた人は物事を容易に信用しません。
これゆえ、悪質な勧誘などに引っかかることもまず無いといえます。
これは、案外と隠れた長所といえます。
10. 良い友人ができることもある
ひねくれ者は、どうしても嫌われやすい・敬遠されやすいものです。
「社交的で大勢の友人がいるひねくれ者」などは、想像しにくいですね。
しかし、そのような付き合いにくい性格ゆえに、根気よく付き合ってくれる友人は、寛大で質の良い人が多くなる傾向にもなるのです。
まとめ
いかがでしょうか。
「ひねくれ者」は厄介な存在かもしれませんが、たとえば意地悪な人や冷たい人と比較すると、大分異なることがわかります。
なかなか「一般的な感覚」を持てないことが主に敬遠されるものの、それが悪いのかというと、そうは言いきれません。
長所と考えられるところも結構あるのです。
「ひねくれていない素直な人」は確かに魅力的ですが、「ひねくれ者」さんも多少はいるのが自然かな?とも思えますよね。
付き合いにくい「ひねくれ者」。
彼らは一体どうしてそのような傾向を持つようになったのでしょうか。
また、どういった特徴を持つのでしょう。
1. 生まれ持っての性格的特徴である
身もふたもない見解ですが、生まれ持っての性格的特徴としてひねくれている場合も多くあります。
これは生育環境などによりません。
「ひねくれ」=「悪い」わけではありませんから、いつも「ひねくれている」と言われて悩んでいる人も、「単にそういう性格なのだ」と考えれば気が楽になるでしょう。
ひねくれた人は「一般的な人」と違う考え方をするものですね。
しかし人間が皆、同じような考えをして同じような感情を持っていたら、それも何か怖い話です。
生物には多様性があり、人間の中にも多様性があって然りなのです。
2. ひねくれた人に囲まれて育ってきた
こちらは生育環境の話です。
人間はかなり単純な部分があり、明るい人に囲まれて育てば明るくなり、素直な人に囲まれて育てば素直になる面があります。
保護者や教育者がひねくれた人ばかりであれば、生まれ持った性格によらず、ひねくれてしまうことはあります。
ただし、大人になっても人間の性格は変化しますので、たまたま素直な人に囲まれる環境にあれば、いわゆる「素直さ」を身につけることもあります。
3. 周囲の人が「ひねくれ」を説明できない
ひねくれている人は、一般的な人とは考え方や感じ方が違うわけですが、「それを直せ」というのはなかなか難しいことです。
「一般的な人のような素直な考え方をしろ」と言っても、それがどういうことなのか、説明する側としても難しいですよね。
また、ひねくれていることは悪ではありませんから、考えを変えなくてはいけないというのも、ちょっとおかしな話です。
このため、ひねくれた人はずっとひねくれたまま、ということもやはり多いのです。
4. 友人ができづらい
「桜がきれいですね」と話しかけても「個人の主観だろう」と返答されたり、「風邪が治った。
つらかった」と話しかけても「それは僕に言うことか?
」と返されたり。
こんな会話ばかりでは、やはり友人はできにくいものです。
当然、恋人などもできにくい傾向に。
周囲からは、無視されたり、「あいつ何なんだ?」と言われてしまうこともあるでしょう。
ではひねくれた人同士が仲良くなりやすいかといえば、「ひねくれ方」が人それぞれですから、そういうわけにも行かないですね。
内心では、ひねくれた人も他者との接触を望んでいますので、苦しんでいることもあります。
5. 意地悪な人と思われやすい
「意地悪な人」と「ひねくれ者」は、一見して発言などが似ていますが、中身は全く違います。
たとえば「こういう車を買ったんだ」と二者に言ったときを想定します。
どちらからも「安い車だなあ」と返答されたとしますね。
意地悪な人の場合、相手がどういう気分になるか分かっていてそれを言っています。
一方でひねくれ者は、「安い車を安いと言っただけなのだが、それが何か問題なのだろうか。
夏が暑いのを暑いと言うのと何か違うのか」などと考えていたりするのです。
6. 冷たい人と思われやすい
意地悪な人のパターンと似ています。
たとえば「失業してしまい、落ち込んでいる。
つらい」と冷たい人、ひねくれ者、双方に言ったとします。
「ふうん、で、それがどうしたんだ」とどちらも言いました。
冷たい人では「落ち込んでいるんだろう。
つらいだろう。
でもそんなことはどうでも良い」と考えています。
相手の気持は分かっているのです。
ひねくれ者ではどうか?
「仕事をしていれば、失業することも想定できるのではないか。
それがどうしてつらいんだろう?」などと考えていたりするのです。
7. 職人肌・芸術家肌なこともある
一般にいって、ひねくれ者さんはやはり協調性に欠けることがあり、「大多数」に合わせることが苦手です。
このため接客業や営業職、教師などには向かないでしょう。
しかし、一人でできる仕事、それも自分の考えに徹底してこだわる仕事には向いていることがあります。
いわゆる「職人」や「芸術家」などがそれに当たります。
子どもがひねくれ気味で将来を心配している親御さんなどは、芸術家はともかく職人的な仕事を目指させるような方向で考えてみると、良いかもしれないですね。
8. 哲学者っぽい人に多い?
ひねくれた人では、「旅行に行ってきて楽しかったんだよね」と話しかけても、「どういう外出から"旅行"になるのか」とか「楽しいとはどういう意味か」など、返答に困るようなことを言ってきたりします。
しかしこれ、とらえ方を変えれば非常に哲学的な問いといえます。
確かにどのようなお出かけをもって旅行とするのかは難しいところですし、「楽しい」とはどういうことかも考えだすと大変です。
実際、哲学者と言われる人には大変ひねくれた人も多かったということで、「一般的な人とは違うものの見方ができる」と考えることもできますね。
9. 騙されにくい
ひねくれた人は物事を容易に信用しません。
これゆえ、悪質な勧誘などに引っかかることもまず無いといえます。
これは、案外と隠れた長所といえます。
10. 良い友人ができることもある
ひねくれ者は、どうしても嫌われやすい・敬遠されやすいものです。
「社交的で大勢の友人がいるひねくれ者」などは、想像しにくいですね。
しかし、そのような付き合いにくい性格ゆえに、根気よく付き合ってくれる友人は、寛大で質の良い人が多くなる傾向にもなるのです。
まとめ
いかがでしょうか。
「ひねくれ者」は厄介な存在かもしれませんが、たとえば意地悪な人や冷たい人と比較すると、大分異なることがわかります。
なかなか「一般的な感覚」を持てないことが主に敬遠されるものの、それが悪いのかというと、そうは言いきれません。
長所と考えられるところも結構あるのです。
「ひねくれていない素直な人」は確かに魅力的ですが、「ひねくれ者」さんも多少はいるのが自然かな?とも思えますよね。